「 あなたの宣告が天から聞こえると、地は恐れて、沈黙を守りました。」詩篇76:8

5D Elmarit19mmf2.8
早朝は雨。徐々に雨は上がってきたものの、太陽が出ず、冷たく感じています。
朝、このブログは珍しく開くことが出来ず、遅いスタートとなりました。
冒頭の聖句は、ここのところ読んでいる所からです。後110ページほどで、旧約聖書を通読できます。
聖書を読むことは、パソコンでも出来ます。コンパクトカメラほどのPalmにも、聖書が入っていて、銀行のATMの待ち時間にも、読むことが出来ます。また、これは懲りたのですが、苦労して携帯に聖書全体を入れて、読んだことがあります。新幹線での移動時に、効果を発揮し、『これは素晴らしい』と思った翌日、目の奥が痛くなったのを思い出します。
やはり、書物である聖書を読むのが一番合っているようです。また最近、趣味の写真でも似たようなことを感じています。カメラはカメラですが、フィルムを入れて撮る銀塩カメラを扱っていると、とても興味深いことがあります。

LUMIX DMC-TX5
まず撮れた結果から言うと、昨日2本目のリバーサルフィルム(スライドと言われる物)の現像ができあがりました。「確かめてください。」と言われて、ちらっと見た時には分からなかったのですが、カメラ店に据え置きされている下に蛍光灯がつくビュアーに、リバーサルフィルムを置き、ルーペで見たら空の色の鮮やかさ、古い建物の木の色に見入ってしまいました。1枚24×36mmの大きさながら、凝縮された写真の世界があり思わず、微笑んでしまいました。
パソコンの液晶で見るデジタルの世界とは、似て非なるアナログの世界でした。

写真の中に同じ物が2枚ありますが、枠なしはDPEのプリントで、白い枠があるのは自宅のプリンターで印刷した物です。妻は、「違いは分からない。」と言っておりました。
撮る行為はデジタルも、銀塩も似たものですが、デジタルはいくらでも撮れる、また駄目ならば消せばいいと言う安易な気持ちがどこかで働きます。
フィルの場合は、最大36枚。しかも、現像代が必要です。よしここで、と思いつつ、より慎重により大切に1枚のシャッターを切ります。細かいことを言うと、ファインダーの大きさも違います。
私が使っているR5というカメラでは、その後フィルムを手で巻き上げ、フィルムが送られているかクランクの回転を確かめ、再び撮影です。
その前に、5-6本目で随分慣れましたが、フィルムを入れる作業があります。そして、撮影後に巻き戻す作業も。
先日、巻き戻す時に突然シャッターが切れました。カメラの底に押す所があり、押しながら巻き戻しのクランクを回す時、そこの真上がシャッターでそこにもう一方の指を置いたわけです。
室内でもあり暗かったので、「カシャ」ではなく、「ガッシャーーーーーン」。その間私はフィルムを巻き戻したわけで、何枚かは2重写しとなっているはずです。キャップはしていませんでしたから・・・。
R5は格安で入手した物。何本か現像して分かったのは、光源漏れがあり、露出計の接触が悪いことでした。そこで、クラッシックカメラを修理専門にしている方を探して、仮見積もりを取っています。
「直そう」とする訳ですが、デジタルだとどうかと考えてしまいます。直すことよりも買い換えを考えやすいです。
何回か繰り返していますが、絞りとピントも手動。これがまた良いのです。AFも技術が必要ですが、カメラが勝手に撮ってくれた感じがします。私は押し手であって、撮影者ではないかも知れないとさえ感じることがあります。
MFだと自分の意志で、ピントを合わせたい所を自分の手と目で確かめることが出来るわけです。
このデジタルと銀塩(アナログ)での撮影をしていると、相乗効果が現れてきます。
時代はデジタル時代。ややもすると、人そのものも、デジタル化してしまいます。より早く、より安い製品が出れば、以前のは捨てる、消去と条件反射のように行動しやすくなります。
・・・。恥ずべき事ですが、2000年以来コンパクトデジタルカメラは30-40台を購入しては処分を繰り返しました。1眼のデジタルも普通の人以上に、買っては処分を繰り返しましたが、数十年前の銀塩カメラは例外です。
これは造る側も丹精を込め、素材を吟味し、人柄が出ていたように感じます。
今後、どうなるか分かりませんが、アナログ返り、銀塩の世界を楽しむことにしました。

- 2009/01/09(金) 11:26:20|
- Elmarit19mmf2.8
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